【徳川吉宗】
徳川吉宗は、紀州徳川家の二代藩主、徳川光貞の四男として、この世の生をうけた。長兄の綱教が三代藩主になるが、病死、次兄の頼職が四代藩主になるが、また病死、それで、めでたく、吉宗が五代藩主となるわけだが、二人の兄が、半年の間に、あいついで病死するだろうか?ロトシックスより確率は低いと、思いますが...多分毒殺!その上、七代将軍徳川家継が8歳で病死、将軍家の血筋が絶え、次期将軍は、御三家から選ぶ事となるわけだが、水戸徳川家は、家格が落ちるので(水戸権中納言)、尾張徳川家(尾張大納言)と紀州徳川家(紀伊大納言)のどちらかとなるわけです。
ここで、次期将軍を決める際、一番の発言権を持っているのが、七代将軍徳川家継の母である月光院であるが、この人は尾張家を推しているので、本来なら、尾張で決まる筈ですが、スキャンダルが発覚して監督責任を問われ、発言力なしになり、六代将軍徳川家宣の妻、天英院の推す吉宗が八代将軍となったしだいです。
しかしながら、こんなにもタイムリーにスキャンダルが発覚するだろうか?(多分、ぬれぎぬ)スキャンダル=絵島事件→大奥の年寄り「絵島」が月光院の名代で、何人もの奥女中を連れ、六代将軍徳川家宣のお墓参りに、芝の増上寺に行き、その帰りに懇意の呉服商の誘いで、山村座の生島新五郎の舞台を見物し、その後生島新五郎を呼び、宴会、それで、大奥の門限に遅れ、絵島は謹慎となりますが、その後、生島新五郎を,長持ち(衣服をいれる木の箱)に隠し、江戸城内に入れたのが、ばれて、生島新五郎は死罪、絵島は信州高遠へ流されたのです。大奥の事しか知らない絵島が、不浄門(糞尿を運び出す門)が警備が薄い事など知らない筈→そそのかした人物がいる筈です!
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